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2006年7月

2006年7月29日 (土)

平恒駅

Hiratsune_st_1廃線を訪ねて。今日紹介するのは、上山田線平恒駅
ココも、もともと無人駅で、今は跡地にライオンズクラブの会館が建っている。

ワタシにとっては、通学時の通過駅の記憶しかないが、駅の隣に「ありがた屋」という廃業した店舗があって、それが一体何の店だったのか、いつも気になっていたのを思い出す。

今は、線路は道路に代わり、歩道の脇にホームの縁石と、待合席が残っているだけである。
Hiratsune_st_2

ところがこの待合席には、思わぬ再利用法があった。写真を見てもらうとお分かりいただけると思うが、待合席の周囲に柵が廻らされ、“メダカの学校”の看板が掲げられている。柵の中には丸い水槽が置かれ、めだかが水草と一緒に飼育されている。この待合席は、その水槽を陽射しや風雨から守る、まさに“メダカの学校”として活用されているのだ。

ちなみに、この“メダカの学校”の道路を挟んだ向かい側には、 飯塚市立穂波東中学校という現実の学校がある(笑)。

廃線の遺構の再活用。退職後別の仕事に就き、さらに現役で頑張り続ける、団塊の世代の人々の姿と重なるような気分だ。

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2006年7月23日 (日)

巻上機台座

筑豊は言わずと知れた石炭産業で栄えた地域。しかし、昭和40年代に相次いだ閉山後、鉱害復旧事業や再開発の波で、往時の繁栄を偲ばせる遺構はどんどん消滅している。

Daiza01_3日本の近代化をエネルギーから支えた筑豊炭田。このカテゴリーでは、その近代化の足取りを伝える遺産を、石炭産業の遺構を中心にして紹介する。

第1弾は、飯塚市(旧穂波町)平恒にある、煉瓦製の巻上機台座です。

巻き上げ機とは、坑内からトロッコや台車をワイヤで巻き上げ、石炭の運搬や鉱員の昇降のために使用したもの。この遺構は、その巻上機を据え付ける台座で、よく見かけるものはコンクリート製がほとんど。案内板によれば、この台座は大正期に作られたもので、煉瓦製で、かつこれだけ規模の大きなものは珍しい。台形のシンプルなデザインながら、アーチを設けるなどモダンな造りになっている。Daiza02

この炭鉱は坑道が斜めに掘削された斜坑で、通常斜坑は本卸坑道と、連卸坑道の二本が掘られている。巻上機台座も2基連なっていて、遠くから眺めるとその威容を知ることが出来る。

Daiza03_1 この台座は旧穂波町の文化財に指定され、先年本格的な補修工事と公園化がなされた。しかし、補修工事が行なわれたのは本卸坑道用の巻上機台座のみで、連卸坑道用の台座は、荒れるに任されている。斜坑の構造などを後世に伝えるためには2基とも保存されるのが望ましいと思うのだが・・・。

【上の写真は連卸坑道用の巻上機台座】

【下の写真は巻上機台座の説明と炭鉱の沿革を書いた案内板です】

Daiza04 Daiza05


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平恒純粋階段

Thomason005【発見年月日】
 2006年7月22日

【発見場所】
 飯塚市(旧穂波町)平恒

【コメント】
 閉鎖された機械工場にある純粋階段。階段を上った先は、コンクリートブロックで塞がれている。かつて、石炭運搬で栄えた上山田線平恒駅(現在は道路)に隣接しており、駅への通路だったのかもしれない。

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2006年7月 5日 (水)

五芒星

Manhole去年の5月に長崎を旅した。

ホテルに着いたあと、近くのコンビニまで歩いて出かけたのだが、街のあちこちに五芒星を見かけた。まさか、南蛮渡りの切支丹伴天連の妖怪から長崎を守護するためか、それとも、原子爆弾で命を奪われ、彷徨う浮かばれぬ霊魂を寄せ付けないためか、などと陰陽道的な妄想を逞しくしたが、周りを見回すとどうも様子が違う。街頭に付けられた旗など、新しいものにも五芒星が描かれていた。
後で調べて合点がいったのだが、この五芒星は長崎市の市章で、草書の“長”をデザインしたものだという。まったく陰陽道などとは無縁のマークだったのだが、それでも街のあちこちに五芒星を探して、長崎の街歩きを楽しんだ。

この旅では、銅座町の長崎東映ホテルの前にあった屋台で、見知らぬ人と飲んで食べて、明け方近くまで騒いだ思い出がある。また、あの屋台を訪れてみたい。

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