近代化遺産

2013年10月20日 (日)

消えゆく炭都ビル

 9月に解体というニュースを聞き、記事をエントリーしてから1ヶ月余り。なかなか始まらないなぁ・・・、と思っていたら、工事が始まっていた。


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 ガレキが飛ばないように、ビルの外側をグレーの幕で覆っていた。幕の内側は、というと・・・


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 かつての商店街部分を含め、かなり仕事が進んでいた。ゲームセンターヤマトや千鳥ラーメンがあったトコロは、跡形も無い。


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 南側の棟は、これから取り掛かるような感じ。

 しかし、炭都ビルがなくなったら、飯塚駅前にポッカリ穴が開いたようになるんだろうなぁ。再開発の青写真はどうなるのだろうか・・・。

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2013年9月 1日 (日)

炭都ビル 消ゆ

-『もの喰う日々 もの思う日々』から、一部加筆、再編集して転載- 


 先日、つらつらとtwitterタイムラインを眺めていたら、驚きのツイート が。ソースへのリンクがあったので、記事を確認。

 

「筑豊繁栄の象徴」に別れ 炭都ビル 9月解体

 福岡県飯塚市が炭鉱で栄えていた時代の面影を残すJR飯塚駅前の「炭都ビル」が9月、老朽化のため解体される。1950年に建設された鉄筋コンクリート4階建ての2棟。1階には店舗が入り、2階以上は当時珍しかった水洗トイレ付きの高級アパートだった。「筑豊繁栄の象徴」ともいわれた建物が、惜しまれながら姿を消す。

 2013/08/27 西日本新聞 朝刊


 とうとうこの日が来たか・・・ というのが正直な感想だ。


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 このブログ飯塚駅前の姿を書こうと思って、写真を撮ったのが2006年8月。


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 当時の飯塚駅。今はスーパーASO昭和通店の向かいにあるからあげ大将飯塚本店が、1階のテナントに入っている。


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 駅前通りの街灯には、“鉱山機械”の会社の名前が残っていた。


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 かつて、福助足袋の代理店かナニかだったのだろうか? ブランドロゴの福助人形の木製看板が掲げてあるトコロもあった。

 このエントリーの写真は全てその時撮影したモノで、ココの更新もその時期から止まったままだ(苦笑)。


Tanto_build_2

 で、7年前のこの時でさえ、1階の商店街で残っていたのは角の果物店ぐらいだった。

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2006年7月23日 (日)

巻上機台座

筑豊は言わずと知れた石炭産業で栄えた地域。しかし、昭和40年代に相次いだ閉山後、鉱害復旧事業や再開発の波で、往時の繁栄を偲ばせる遺構はどんどん消滅している。

Daiza01_3日本の近代化をエネルギーから支えた筑豊炭田。このカテゴリーでは、その近代化の足取りを伝える遺産を、石炭産業の遺構を中心にして紹介する。

第1弾は、飯塚市(旧穂波町)平恒にある、煉瓦製の巻上機台座です。

巻き上げ機とは、坑内からトロッコや台車をワイヤで巻き上げ、石炭の運搬や鉱員の昇降のために使用したもの。この遺構は、その巻上機を据え付ける台座で、よく見かけるものはコンクリート製がほとんど。案内板によれば、この台座は大正期に作られたもので、煉瓦製で、かつこれだけ規模の大きなものは珍しい。台形のシンプルなデザインながら、アーチを設けるなどモダンな造りになっている。Daiza02

この炭鉱は坑道が斜めに掘削された斜坑で、通常斜坑は本卸坑道と、連卸坑道の二本が掘られている。巻上機台座も2基連なっていて、遠くから眺めるとその威容を知ることが出来る。

Daiza03_1 この台座は旧穂波町の文化財に指定され、先年本格的な補修工事と公園化がなされた。しかし、補修工事が行なわれたのは本卸坑道用の巻上機台座のみで、連卸坑道用の台座は、荒れるに任されている。斜坑の構造などを後世に伝えるためには2基とも保存されるのが望ましいと思うのだが・・・。

【上の写真は連卸坑道用の巻上機台座】

【下の写真は巻上機台座の説明と炭鉱の沿革を書いた案内板です】

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